<100年の残響 日比谷野音 story>(5)1971・7・28 岡林信康「狂い咲き」コンサート 貫いた 反骨の「私小説」
2023年11月12日 07時13分
岡林信康さんには一度しか着られなかったステージ衣装がある。
「妻がその日のために『絞り染め』でつくってくれたんやけど、観客ともみ合いになってね。ぼろぼろになってしもうた」
1971年7月28日、日比谷野外音楽堂(野音)で開催されたソロコンサート「狂い咲き」。8千を超す観客は通路を埋め、ステージの上まであふれていた。「わけの分からないヤジを飛ばす奴(やつ)らがいて、彼らのところに突進して行ってけんかになってしまった」と苦笑しながら振り返る。
判然としないヤジの中身はともかく、当時、岡林さんとファンとの間で緊張、葛藤があったのは事実だ。
日雇い労働者の悲哀を歌った「山谷ブルース」で68年にデビューして以来、岡林さんは貧困や差別にあえぐ人々の心情や社会風刺を歌い、若くして「反体制の旗手」「フォークの神様」としてカリスマ的な支持を得ていた。しかし、ロックバンドをバックにした作品やラブソングを発表すると「こんなの岡林じゃない」「転向した」といった批判を浴びるようになる。
「自分にとって歌は『私小説』。山谷ブルースにしても、実際の日雇い労働生活から生まれた曲や。生きている中で感じた疑問や湧き出てくる思いをつづって歌にしているだけ」。なのに学園紛争や労働運動の象徴のように偶像化され、そのレッテルに沿った歌ばかり求められた。苦悩が深まり、音楽活動から身を引く意思を固める。その前に自身の全作品を歌うという趣旨で開催されたのが、野音での「狂い咲き」だった。
コンサート冒頭のトークで岡林さんは「『友よ』なんて歌まで歌いますし…。お互い恥ずかしい」と切り出し客席をざわつかせる。「友よ 夜明け前の闇の中で 友よ 戦いの炎を燃やせ…夜明けは近い」とつづられたこの曲は、デモ行動や政治集会で、抵抗や団結のシンボルのように歌われてきた。
元来、牧師の息子として育った岡林さんが賛美歌のようなイメージでつくった曲だ。そこからは異なるメッセージが一人歩きし、作者を偶像化させた。歌う前に「問題の歌やね」と紹介すると、スタンドから「ナンセンス」「異議なし」といった言葉が飛び交うが、曲が始まると満席が聴き入り、歌い終わると大きな拍手に包まれた。これを最後に岡林さんは「友よ」を歌っていない。「フォークの神様」にケリをつけたステージだった。
音楽シーンから姿を消した岡林さんは山村での、いわば隠遁(いんとん)生活に入る。農業を営みながら目覚めたのが演歌だった。75年には世に出した「風の流れに」などが美空ひばりさんに歌われ交流、共演が続いた。80年代に入ると、日本オリジナルのロックを模索。民謡のリズムに韓国の打楽器などを融合させた独自のロック「エンヤトット」を創出した。2007年には36年ぶりとなる野音の舞台で、エンヤトットを中心にソロコンサートを開いている。
多様な音楽を生み続けてこられたことについて、「『フォークの神様』らしさを求められ、それをぶち壊そうという思いがあったから創作意欲が湧いた。今にして思えば、レッテルのおかげだろうね」と話す。
一昨年に出したアルバム「復活の朝」では、かつての「反体制の旗手」をよみがえらせたような曲もある。「アドルフ」は、「強い指導者を求めてる人たちがいる」「悩み迷うのが面倒で全てを任せたい」と歌い、「アドルフ・ヒトラーもどきが ニヤリと微笑(ほほえ)んだ」と結ぶ。
タイトル曲「復活の朝」では、人類がいなくなったことで輝きを取り戻した地球を描いた。根底にあるのは今の人間社会への疑問と危機感だ。「今夏の『沸騰化』で誰もが感じたはず。地球はもたない、と。でも政治は目先の権力に執着しコップの中の争いを続ける。だから戦争もやまない。このままでは地球がぼろぼろになってしまう」
アルバムの締めくくりに収められたのが「友よ、この旅を」だ。あの「友よ」の続編であり、アンサーソングでもある。現在ツアー中のデビュー55周年コンサートでも歌われている。
「陽(ひ)は沈み陽は昇る 歩いてゆこう…友よ」とつづられる。「『友よ』では夜明けが来れば希望が訪れると歌ったけど、夜明けの後も黄昏(たそがれ)が来て、また夜が訪れる。それを繰り返すのが人生だ」との思いを込めた。貫いた反骨の「私小説」も完結に近づいている。
岡林さんデビュー55周年記念ツアーの最終公演は12月7日、江東区住吉の「ティアラこうとう」で午後6時開演。問い合わせはティアラこうとうチケットサービス=電03(5624)3333=へ。
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開設100周年を迎えた「日比谷野音」のステージに刻まれた伝説を月1回、証言を通じて再現する。
文・稲熊均/写真・朝倉豊
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<100年の残響 日比谷野音 story>
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