長崎県の雲仙・普賢岳で消防団員や警察官、報道関係者ら43人が亡くなった1991年の大火砕流から31年となり、麓の同県島原市では3日、遺族らが発生時刻に合わせて黙とうするなどして、犠牲者を追悼した。記憶の風化が懸念される中、住民らによる自主防災の取り組みにつなげるため、災害の教訓をいかに継承していくかが課題だ。
「仁田団地第一公園」内の追悼碑前には、朝から市職員や警察官らが集まった。当時消防団員だった古川隆三郎市長は取材に「災害の記憶を子どもたちにしっかり伝えていきたい」と話した。
消防団は「島原復興アリーナ」近くの慰霊碑前に献花台を設置。
避難勧告区域内にあった報道陣の取材拠点で、昨年「被災遺構」として整備された「定点」では法要が営まれ、花束も供えられた。