中村雅俊(72)がデビュー50周年を迎えた。1974年(昭49)に日本テレビ系連続ドラマ「われら青春!」の主役に抜てきされて本格デビュー。俳優として数々の作品の主役を演じ、歌手としてもデビュー曲「ふれあい」をはじめ大ヒットを飛ばした。73歳の誕生日の来月1日には、東京・すみだトリフォニーホールで「中村雅俊 シンフォニックライブ 2023-2024~WHAT’S NEXT」の東京公演を行う。デビュー50周年の歩みと、これからについて聞いてみた。【小谷野俊哉】

★フルオーケストラ感動

2年前から交響楽団を従えたコンサートを始めた。

「フルオーケストラがバックなんで、最初の頃はそれに合うようなバラードとかミディアムの曲を選曲してやってた。例えば『ふれあい』なんかピッタリじゃないかと思っていたんですけど、やってみたら意外とアップテンポの曲がなかなか面白い。今年はそれを意識して『時代遅れの恋人たち』とかね。あと『だろう!!』とか『想い出のクリフサイド・ホテル』も。ドラムとかパーカッションがない分だけ、そこに工夫がある。アップテンポの曲っていうと、ドラムがあってベースがあってギターでそれで整理するみたいなところがある。それをドラムとかギターの代わりをオーケストラの楽器がちゃんとやってくれる。やってて気持ち良くて、聴いてる方もすごく良いって言ってくれる。新しい発見ですね」

俳優としてデビューした年に出した「ふれあい」が大ヒット。歌手としても、スポットを浴び続けてきた。

「フルオーケストラをバックに歌うって大きな感動があった。初めは、すごく別の意味での緊張があった。自分もプロの歌手としてやってきたけど、オーケストラの方々は本当に専門的に学術としてやっている。そういう人たちを60人以上バックにしてね、俺ごときが歌う。よろしくお願いします、っていう気持ちです」

今年デビュー50周年。俳優として、歌手として時を刻んできた。アコースティックギター1本にジーンズで歌うスタイルから始まった。そして50年後、フルオーケストラをバックに熱唱する。

「やっぱりコロナが大きい。デビューから45年続いたコンサートツアーもなくなっちゃった。2020年は結局、コンサートが全部中止になったショックがあった。そんな時に、フルオーケストラのコンサートを提案された。すごくうれしかった。とにかく、歌うことができる喜びがあった。それは同時にプレッシャーでもあったんですけどね。大きなチャレンジだったけど、それ以上に喜びが大きかった。今年は3年目になるんで、とても楽しみ」

★結構やってきたじゃん

若き青春スター、中村雅俊も70代になった。慶大在学中に文学座の研究生になり、74年2月に日本テレビ系「太陽にほえろ!」でドラマデビュー。そして、卒業と同時に同年4月に始まった日本テレビ系連続ドラマ「われら青春!」の主演に抜てきされた。

「まあ俺はずっとマイペースで、別の言い方をすると運が良くて50年という年月やって来られた。自分では、あんまりすげえなとは思ってないんですよ。デビューしてから、ずっとやってることってわりと変化がない。最初主役でデビューしたんで、これずっと主役でいけねえだろうなって思っていた。デビュー曲の『ふれあい』も1位になっちゃったけど、これまた2作、3作目もいかないだろうなと思ってたんだけどね」

本格デビューが連ドラ主役で大ヒット、そして歌を出せばヒットチャート1位。その後も、俳優として歌手として活躍を続けてきた。

「まあ確かにガムシャラでやってきたんで。だいぶ前に自分のリサーチというか“身体検査”をしたんだけど、コンサートはコロナ前までに1500回を超えていた。これは結構自慢できる。あと、連続ドラマの主演が34本あった。年一でやれば34年間かかる。そういう意味では『中村君、結構やってきたじゃん』っていうのがあるんだけどね。俺自身は、なんとなく毎年自分がやらなきゃいけないことをやっていくっていうことの繰り返し」

歌う俳優、演じる歌手。俳優も、歌も高いレベルでやり続けてきた。

「少なからず“一発屋だろうな”みたいなことを意識してたのかな。スタートがうまくいきすぎたんで、他人に任せちゃったところもあった。自分でどうしようもないことなんでね。あとは性格的に人が大変だって思うようなことでも、あんまり大変だと思わない。わりとのんびり屋っていうか、鈍いやつではあったんです」

★50年後の「俺たちの旅」

順調すぎる芸能生活。

「まぁ、きっとあったんだろうけど、あんまり壁を壁と思わないでやれて来た。TBSの連ドラマ『われら動物家族』(81年)の主題歌で『心の色』が、また地味にヒットチャートを上がっていったんですよ。それで最後は1位になった。ちょっと衝撃的な感じでしたね。翌年、桑田佳祐君が『恋人も濡れる街角』を提供してくれた。『恋人も-』は映画『蒲田行進曲』の主題歌だったんですけど、あまり動きがなかったんですよ。それで、フジテレビの連ドラの『おまかせください』の挿入歌にしたら、大ヒットした。フジテレビにも感謝しなきゃいけないし、当然桑田君が書いてくれたっていうことにもね。『恋人も-』が売れたのは、俺にとって本当に大きな出来事でしたね。『ふれあい』とか『俺たちの旅』、それこそ『心の色』とか、みんな静かなミディアムの曲なんだけどね。『恋人も-』は俺らしくない曲だった。いわゆる“素朴な中村雅俊”というのと違う、ボサノバ風の、ちょっと悪さが出るような歌だったし。すごい俺の今までの歌を変えてくれたみたいなところがあったんで。本当にありがたい」

来月1日に73歳。51年目の歩みを考える。

「このままフェードアウトするのも、癪(しゃく)だなっていう感じ。ずっと主役でやって来られたけど、ドラマっていうのは主役は若い人で、年を取ったら脇に回る。アメリカなんかは、映画でも年寄りが主役やるという文化があるけど、日本ではね。日本も、配信とか出来てきてテレビが劇的に変わりつつある。それはテレビじゃなくて、配信かもしれないけど、変えていきたいね」

75~76年に日本テレビ系で1年間放送された主演連続ドラマ「俺たちの旅」。同名の主題歌も80万枚超のヒットになった。

「脚本家の鎌田敏夫さんが50年後の『俺たちの旅』やりたいって、言ってるんです。テレビは企画を通すのが大変だけど、映画は金さえ集まれば作れる。やってみたいとは思う」

アーティストとしての本能が歩みを止めない。

「これからもずっと歌は歌っていたいし、お芝居もね。表現者として、ずっと続けていきたいですね」

中村雅俊の旅は、まだ終わらない。

▼同じ宮城県出身で同い年のフリーアナウンサー生島ヒロシ(73)

1975年(昭50)6月に、僕はアメリカの大学を卒業して帰国しました。雅俊さんは、もう売れっ子になっていました。翌年、TBSにアナウンサーとして入社しました。そして旧TBSのテレビ局舎の渡り廊下で、げた履き姿の雅俊さんを見かけました。その時に「テレビと同じ格好だ。故郷の“同級生”がスターになっているんだ」と実感しました。

13年前に故郷・宮城に大きな被害をもたらした東日本大震災。雅俊さんは女川町、僕は気仙沼市出身ということで、故郷を守るためにいろいろなことをご一緒しました。僕が会長を務める生島企画室に娘さんの中村里砂ちゃんが所属したこともあって、親近感を持ってメール交換させていただいてます。娘さんには、かなり甘いパパです(笑い)。僕がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「おはよう定食/一直線」にも、何度もゲストに来てもらいました。故郷の宮城のなまりが、ちょっとあるトークがすごくいいんです。

50周年を迎えたことに、心からおめでとうと言いたいです。この年までトップランナーであり続けていることに、あらためて感嘆しています。同世代で亡くなる人も出てきていますが、雅俊さんは体形も変わらない。穏やかな顔をしてますが、ストイックです。同期、故郷の誇りです。

コンサートにも何度がうかがいましたが、すごいし、ハートウォーミングな雰囲気が素晴らしい。お互い、ここまで来たら生涯現役を目指して、頑張りましょう!

◆中村雅俊(なかむら・まさとし)

1951年(昭26)2月1日、宮城県女川町生まれ。73年慶大在学中に文学座付属演劇研究所入所。74年4月期の日本テレビ系連続ドラマ「われら青春!」で主演に抜てきされ本格デビュー。同7月に挿入歌「ふれあい」で歌手デビューして120万枚超の大ヒット。75年同局「俺たちの勲章」「俺たちの旅」、映画「ふれあい」。俳優として連続ドラマ34本を含め、主演作品は100本以上。歌手としてシングル55枚、アルバム41枚をリリース。182センチ。血液型O。

◆ビルボードクラシックス 中村雅俊 シンフォニックライブ 2023-2024~WHAT’S NEXT

昨年12月21日の兵庫公演に次ぐ、2月1日の東京公演。管弦楽は新日本フィルハーモニー交響楽団、サポートミュージシャンは大塚修司。

 
 
 
 
 
 
74年、日本テレビ系青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢された中村雅俊は、挿入歌「ふれあい」が100万枚を超える大ヒット、ジーパンにげた履きがトレードマークになった
74年、日本テレビ系青春ドラマ「われら青春!」の主役に抜擢された中村雅俊は、挿入歌「ふれあい」が100万枚を超える大ヒット、ジーパンにげた履きがトレードマークになった