雲仙・普賢岳の定点、遺構を整備 犠牲者に黙禱
小川直樹 榎本瑞希
43人が死亡・行方不明となった1991年の雲仙・普賢岳の大火砕流で、犠牲者が集中した報道陣の撮影ポイント「定点」付近一帯(長崎県島原市)が、被災から30年を迎えるのを前に災害遺構として整備され、22日に完成した。住民らは今後、防災教育の拠点として活用を考えている。
正面に普賢岳の溶岩ドームを望む定点では、報道陣が連日カメラを構えた。91年6月3日、300度を超える火砕流が山を駆け下り、報道関係者16人とチャーターしたタクシー運転手4人が命を落とした。
車両が火山灰に埋もれた現場には、市が慰霊のため木製の三角錐(すい)を建てただけで、長く放置されていた。
2年前、毎日新聞が自社の被災車両の掘り起こしを、市内の造園業、宮本秀利さん(71)に相談したのを機に、住民らが遺構の保存について話し合い、普賢岳を望む現場一帯の3千平方メートルの整備にこぎ着けた。県内の報道各社も、整備費を負担した。
遺構には、先月掘り出された…