雲仙・普賢岳大火砕流から30年 火山防災の進歩、限界も

惨事をひきおこした大火砕流、手前は水無川=長崎県島原市白谷町で1991年6月3日午後4時10分、加古信志撮影
惨事をひきおこした大火砕流、手前は水無川=長崎県島原市白谷町で1991年6月3日午後4時10分、加古信志撮影

 死者・行方不明者43人を出す大惨事となった1991年6月3日の雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流は、当時戦後最悪の火山災害だった。その後も各地で住民が避難を迫られる噴火が起き、2014年の御嶽山(長野、岐阜両県)の噴火では普賢岳の被害を上回る63人が犠牲となった。世界の7%に当たる111の活火山が連なる「火山列島」日本。この30年で国内の火山防災はどこまで進歩したのか。現状と課題を探った。【今野悠貴】

ハザードマップに後れを取る避難計画整備

 普賢岳は大火砕流発生前年の90年11月17日、198年ぶりに噴火し、91年5月になると土石流が頻発するようになった。岩石に高温のガスなどが混じり高速で斜面を駆け下りる火砕流も発生したが、気象庁が当初「小規模で災害危険性は低い」との見解を示したこともあり、避難勧告が出た後も、現地で取材を続ける報道陣は撤退しなかった。

 そうした中、ふもとの長崎県島原市は6月1日、外部の専門機関に大規模火砕流の被害想定区域を示すハザードマップの作成を依頼。2日後の3日夜には市に届いたが、既に夕方に大火砕流が発生した後だった。

 報道関係者らが巻き込まれた「定点」と呼ばれる取材拠点を含め、ハザードマップの想定と実際の被害区域は重なっていた。市職員として住民避難などに携わった雲仙岳災害記念館(同市)の杉本伸一館長(71)は「当時、…

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