大火砕流後の雲仙・普賢岳 緑の再生に尽力した一人の土壌学者

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雲仙・普賢岳の溶岩ドーム周辺の山肌に緑が戻った=長崎県島原市で2021年5月19日、本社ヘリから上入来尚撮影
雲仙・普賢岳の溶岩ドーム周辺の山肌に緑が戻った=長崎県島原市で2021年5月19日、本社ヘリから上入来尚撮影

 長崎県の雲仙・普賢岳は新緑の美しい季節を迎えた。死者・行方不明者43人を出した1991年6月3日の大火砕流からまもなく30年。198年ぶりだった前年11月の噴火以降、土石流や火砕流で荒廃した山の再生には、一人の土壌学者が関わっていた。

 噴火で生じた土砂が雨で流される土石流や、岩石、高温のガスなどが流下する火砕流により、普賢岳では東京ドーム約560個分に当たる2640ヘクタールの森林が失われた。水を土壌に保って土砂流出を食い止める役割がある緑が山肌から消え、噴火が収まった後も大雨の度、土石流が発生する恐れがあった。

 噴火活動がほぼ停止した95年5月、緑を取り戻す取り組みが始まった。約500ヘクタールの施工地は火山の噴出物が平均40メートル積もり、直径最大2メートルの岩石が転がる斜面地だ。しかも大部分は人の立ち入りが制限される警戒区域。地上での緑化は難しく、ヘリコプターで種子や肥料を投下する史上最大規模の「航空緑化」が試みられた。種や肥料を混ぜた液体を空中散布する工法もあったが、これだけの規模となるとあまりに…

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