普賢岳噴火、「定点」周辺の災害遺構公開 教訓語り継ぐ

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報道陣の拠点となっていた「定点」で公開された被災車両。後方は雲仙・普賢岳=長崎県島原市で2021年3月22日午前10時25分、徳野仁子撮影
報道陣の拠点となっていた「定点」で公開された被災車両。後方は雲仙・普賢岳=長崎県島原市で2021年3月22日午前10時25分、徳野仁子撮影

 死者・行方不明者43人を出した1991年6月3日の雲仙・普賢岳(長崎県)の大火砕流から今年で30年となるのを前に、報道関係者らが犠牲になった島原市の取材拠点「定点」周辺を災害遺構にする工事が完了し、22日に関係者に公開された。付近には「記憶の風化を防ぐため定点周辺を整備保存し、雲仙普賢岳の災害教訓を未来に活(い)かすことを誓う」との文言が刻まれた石碑も設置された。

 大火砕流では毎日新聞社員3人を含む報道関係者の他、定点から数百メートル離れた地点で警戒中だった消防団員らも犠牲になった。避難勧告発令中に取材した報道のあり方も含め、地元の安中(あんなか)地区町内会連絡協議会が教訓を後世に伝えようと1月から整備を進めていた。

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