ホーム > インタビュー&レポート > “音楽の持つ力で、感動へと繋げたい” 中村雅俊、デビュー50周年目前 3度目の『billboard classics』シンフォニックライブに向けた想い
フルオーケストラをバックに歌うことは、アーティストの夢の一つ
――2021年から続く『billboard classics』ですが、今年3回目ということで、恒例になってきた感じでしょうか?
「デビューからコロナ直前まで、ずっとバンドでホールコンサートをやっていたんですけど、コロナでツアーが全て中止になってしまって。これまで4~5人のバンド編成のパフォーマンスだったので、フルオーケストラに期待もあったんですけど、最初は歌ってみるとドラムがいないことで多少の戸惑いもありました。でも1年、2年とやるうちにだんだん楽しくなってきて、今年も開催できるのがすごく嬉しいです。恒例というか、まだ3年目なので緊張はありますよね」
――緊張がありますか。後ろに60人ほどの方を従えているんですものね。
「そうです、そうです」
――リズム隊がいないことでの戸惑いもあられたんですね?
「自分の歌にスローバラードやミディアムテンポの曲が多かったので、最初の方はそういう曲をメインでやっていたんだけど、そういう曲こそなかなかテンポが取りづらくて。割とアップテンポの曲だと、実際の音はなくてもリズムがちゃんと刻めるみたいなところがある。それは色々やってみてわかりました。困難なこともあったんですけど、今は楽しくやらせていただいています」
――困難なことというと、具体的には?
「オーケストラの演奏って、歌のメロディーだけじゃなく、バイオリンとかいろいろな楽器のカウンターメロディーが入ってくるんですよね。途中で自分が歌おうとしているメロディーやテンポが"あれ、これでいいのかな?"と不安に思ったり、"ちゃんと演奏に歌のメロディーが乗ってるかな?"と思ったりすることがありました」
――慣れるのに少しご苦労が?
「今までやっていたバンドスタイルと音の違いがあるので。でも何回かやってるうちに慣れてきましたね」
――ホールに対しての印象はどうですか?
「去年の『billboard classics』は、上野にある東京文化会館でやったんですよ。本格的なクラシック音楽のコンサートホールなので、やっぱり音の聴こえ方も違いますよね。お客さんの評判もとても良かったです。今はイヤーモニターを使っているので、自分のモニター環境はどこでも同じようにできるのですが、昔はフットモニターだけだったので、歌いづらいことも結構ありました」
――何回も立つと慣れてくるものですか?
「そうですね。そういう意味では、知っている劇場ってだけでも余裕が生まれるんですよ。あと意外とステージの上は狭いんです。人が多いから」
――確かにそうですよね。
「俺の横がすぐ指揮者なので。普通のコンサートホールみたいに、こっち行ってあっち行ってみたいなことは、あまりできないですね」
――今年9月に放送された『中村雅俊のオールナイトニッポンGOLD』では、フルオーケストラをバックに歌うことは、アーティストの夢の一つだとおっしゃっていましたね。
「俺が勝手に思うことだけど、3つぐらいあるんじゃないかと。一つは紅白。1度は出てみたいって思ってたよね。役者で言うと大河ドラマに出るような感じ。2つ目は武道館。これはやっぱり1966年にビートルズが日本に来て、コンサートをやった場所。だからいろんなアーティストが武道館でやりたいと聖地になっている。割と武道館でコンサートをやると、一つ目標が達成できた感覚があるのかなと。そして3つ目がフルオーケストラ。フルオーケストラをバックに歌う機会は、そうそうあるものではないですよね」
――3つの夢を全て叶えられた中村さんですが、実際にフルオーケストラをバックに歌う経験は格別でしたか?
「いや、それはもう。最初にリハーサルをするじゃないですか。ホールよりも狭い空間でひしめき合ってやるので、音圧がとにかくすごい。リハーサルの段階でちょっと感動しちゃいましたね。あとは、一流のプロの人たちが演奏しているので、そういう意味でのプレッシャーはありますよね」
――プレッシャー、ありますか。
「演奏してる方も納得するような歌でないといけないですし」
――フルオーケストラと一緒にやる一番の喜びは何でしょうか?
「やっぱり一番は、自分が楽しかったということ。自分が"ああ、良い時間だな"と本当に楽しんでやっていると、お客さんにも以心伝心じゃないけど、伝わっているのがすごくわかる。本当にライブというのはお客さんの心が読める。"今すごく一緒になって楽しんでるな"というのは、暗い空間の中でも伝わってくるんです」
――これまでの『billboard classics』で、特に印象に残っている公演はありますか?
「一番最初の、2021年8月の兵庫公演(@兵庫県立芸術文化センター KOBELCOホール)ですね。コロナ前までで1500回以上コンサートをやってきたので、コンサートには慣れているんだけど、オーケストラとの共演には慣れていなかったので、"これはどうなるのかな"というドキドキ感はすごくあったんです。でも、お客さんにも助けられて。今までのコンサートとはまた違った、自分の中でもちょっとテンションが上がる部分がありましたね」
オーケストラメンバーとのコミュニケーション
――サポートミュージシャンに大塚修司さんが、編曲に山下康介さんが入られていますが、楽曲は最初に中村さんの300曲以上ある持ち曲から選んで、アレンジしたものを演奏する形ですか?
「そうです。大塚と一緒にもう40何年もやってるんですけど、クラシックの編曲家の山下さんに渡す前に、まず大塚がヘッドアレンジをするんです。"イントロはこうして楽器はこれで"みたいに、ラフなアレンジをしたものを山下さんに渡して、それを元にまたアレンジし直すという形をとってます」
――リハーサルで細かな部分を調整しながら完成させていかれるんですか?
「リハーサルの段階ではもう曲はできてます。その前に大塚と山下さんで微調整をやってくれているんですよね」
――なるほど。それをリハーサルで演奏されて。
「実際、リハーサルは1日しかないんです」
――楽曲は何十曲とあるわけですよね。
「20曲近くある。だから1回譜面を見てやって、もう本番ですよ」
――すごいですね。
「そういう腕の人たちばかりなので。そう言いながらもやっぱり、回を重ねた方が慣れていきますね」
――いろいろな交響楽団とご一緒されていますが、楽団ごとにカラーは違いますか?
「過去2年で新日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィル・ビルボードクラシックスオーケストラ、大阪交響楽団と共演していますが、やっぱり微妙に違いますよね」
――今回、兵庫芸術文化センター管弦楽団との共演は初めてでしょうか?
「そうですね。基本的に構成が変わらない部分も多いので、あまり不安はないです。ただ、いつも新しい曲を5~6曲やってるんですよ。まあ、初めて演奏する側としては、5曲も6曲も20曲も変わらないですけどね(笑)」
――フルオーケストラと共演されて、感じたことはありましたか?
「皆さん本当に一流のプロ。そういう意識はかなり持ってるね。やっぱり選ばれた人たちという意識がすごく強い。いろんな試験を受けて合格して、また次の壁があったらそれを乗り越えてくる。俺らのハードルや壁とはまた違う、本当に実力主義。そういう人たちがまとめて出す音はやっぱり、"どうだ!"という自信に満ちたニュアンスの音だなと感じますよね」
――音から感じられるものがあるんですね。
「ありますね。まあ、皆様真剣にやってますからね」
――楽団とのやり取りはどのようにされているんですか?
「オーケストラには多少ルールがあって。一定時間演奏したら休憩を入れるとか、ステージでは、指揮者が出て俺が出て、バイオリンのコンサートマスターがチューニングを"ラの音"で取る、といった習わしも把握しながら関わっています。ただ、ビルボードの人たちに"これをやったのは中村さんが初めてですよ"と言われたのは、楽団員全員の名前を紹介したんです」
――約60名の名前を?
「"すごく時間がかかるかな?"と思ったら、3分ちょっとで終わって。名前を呼ぶと金八先生みたいな感じになって。名前を呼んでるだけなのに、だんだんこみ上げていくものがありましたね」
――楽団の皆さんも嬉しかったでしょうね。
「そうそう。ある人はわーっとはしゃいだり、いろいろとパフォーマンスをやったりなんかしていたので、それはそれで良かったのかなと思っています」
――オーケストラには、カチッとした雰囲気があるというか。
「そうなんですよ。ちょっと近寄りがたい感じのね。実際に話をするとそうでもないんですけど、イメージはそういう感じじゃないですか。だから名前を呼ぶのは今年もやろうかなと思います」
――指揮者は3年間ずっと円光寺雅彦さんですね。
「リハーサルの時に細かいダメ出しをやるのは円光寺さんなので。大塚と山下さんがアレンジをして、それをパフォーマンスする段階だと、今度は円光寺さんが思う"この曲"というものがあって。"ここはこうだ"とか、結構演奏を止めて指示を出してますね」
――いろんな方の意見が入って楽曲が作られているんですね。
「俺自身も歌ってみて、"あれ?ここは?"と思うところがあると、またそれによって変わります。リハーサルじゃなく、本番でやってみてわかる時も結構あるので」
――その次の公演でまたそこは修正して。
「そういう感じですね」
――円光寺さんはどんな方ですか?
「面白くて良い人です。休憩の時は、円光寺さんと俺と大塚の3人でステージの上で喋ったり。去年は"幻のデビュー曲"(1973年に制作された『ウイスキーの小瓶』)を3人でやったり、あとはくだらない昔話で盛り上がったり」
――楽団員の方と直接コミュニケーションを取ったりはされましたか?
「人によってはしましたよ。俺のアルバムを持って来て、サインしてほしいという人もいたし。そういうのがあると、ホッとしますね」
今も鮮明に覚えている、デビュー当時のこと
――今回のテーマは「WHAT'S NEXT」です。テーマは毎回中村さんが考えておられるんですか?
「ええ。初回は"Before DAWN=夜明け前"。ちょうどコロナの時期だったので、"夜明けは近いぞ"という願いを込めました。去年は"HARVEST"。フルオーケストラと共演した自分の財産みたいなもの、今までと違った経験をさせてもらったということで、"収穫"という意味合いも含めて。今回は、"次は何?"というようなテーマです」
――セットリストが決まった後でつけられるんですか?
「その辺りは定かじゃなくて。セットリストを決めてからの時もあれば、意外と早めにサブタイトルを出してくれと言われるので、"HARVEST"なんかはセットリストが決まっていないのに決めましたね」
――テーマとセットリストは別で考えられている?
「そうですね。セットリストの内容に合わせてテーマを決めるのではなく、今回のパフォーマンス全体で、何となく自分の思うニュアンスでタイトルをつけていますね」
――来年デビュー50周年目前で「WHAT'S NEXT」とつけられた理由は?
「そう、だから50周年のニュアンスも含んでいるんです。"次は何?"というか、もう50周年だよということなので。"そうか、もう50年か"という話で、自分の中では"早いな"と感じますね」
――早かったですか。
「振り返るとね。というか、デビュー辺りのいろんな出来事は、今もすごく鮮明に覚えているよね」
――今年8月にはドラマ『俺たちの旅(1975年~1976年放送)』のDVD付きマガジンがアシェット・コレクションズ・ジャパン株式会社から発売され、よりデビュー時のことを思い返す機会が増えているのかなと思いますが。
「"『俺たちの旅』ってこんなにすごい作品だったのか"と思うくらい"当時見てました!"と声をかけられますね。特に歳を取ってから、60代くらいの男性が多いですかね。それも会社の要職に就いているような人が多くて。DVDマガジンを出してくれたら、嬉しい悲鳴で、本屋で売り切れが続出して。アシェットの社員の人から感謝の手紙がきたりして、結構ビックリしたんです」
――それは嬉しいですね。当時のことが思い出されますか?
「まあ『俺たちの旅』は、デビューして3年目くらいだったので。デビューは『われら青春!(1974年4月~9月放送)』というドラマの学校の先生役で。とにかくデビュー当時は衝撃的でした。お芝居をやりたくて文学座という劇団の研究生の試験を受けたら、たまたま受かって、受かって1年後には主役でデビューですもんね」
――同時に歌手デビューもされたということですよね。
「そうですね。ドラマは4月の番組だったんですけど、7月には『ふれあい』という歌を出して。オリコンで10週間連続1位だったんですよね」
――すごいですね。ミリオンですよね。
「あまりにもすごいじゃないですか。だから朧げに、"こんなの続くわけねえよ"って。ドラマで主役やって歌が1位で、次回も主役で歌もまた1位でなんていうのは、夢みたいな話じゃないですか。だけどその後も主役がずっと続いて。この間、連ドラの主演の数を数えたら34本あって。1年に1本やっても34年かかるという」
――ずっと最前線で活躍されてこられて。
「さすがにここ10年くらいは主演は減ってきて。今年NHKで主演をやりました(3月放送特集ドラマ『おもかげ』)けど、時の流れだね。でも連ドラの主演34本というのも自分を鼓舞するし、コンサートも1500回以上やっているので、結構頑張ってきたかなって」
――素晴らしいです。
「まあでも、そういう過去の話よりも、本当は今が大事なので(笑)」
英語でまたお芝居をしたい。だけど一番は歌をずっと歌っていたい
――「WHAT'S NEXT」にちなんで、中村さんの中で、次に思い描くものやビジョンはありますか?
「元々大学の時に英語を専攻していて、英語でお芝居をしていたので、アメリカ映画に2回ほど出させてもらって。もしやれるならそれをまたやりたいですね。日常会話じゃないので、映画の中の英語は正しい発音じゃないとダメなんですよ。受験生みたいに、英語のセリフをものすごく正確に覚えなきゃいけない」
――いろんな方が観るから。
「そうです。だからすごく一生懸命やるんですよ。一生懸命やる分だけNGもないし。外国の方は楽しい人が多いので、撮影現場も雰囲気が良くて。そして向こうのポストプロダクションは編集技術が高い。半年以上かけて繋げて繋げて編集するんですけど、やっぱり出来上がりを見たら、"おお、洋画だ!"という感じがするんですよ。もう、なかなか面白くて。それをたった2回しか経験させてもらってないので。外国の映画だと、適度な緊張感と適度な気楽さがあるんです。日本人がいないと、気が楽じゃないですか」
――そうなんですね!
「ええ。過去2回ともマネージャーなし、通訳なしで行って、直でコミュニケーションが取れたりするのが楽しいんですよ。だから、もしそういうのをやれたらというのはありますけどね。やっぱり一番は歌をずっと歌っていたいですね」
――歌は中村さんにとって大事なものなんですね。
「俺、役者なのに。楽しいなと思っちゃいますね」
――どういうところが楽しいと思われますか?
「歌そのものが持ってる魅力ですかね。聴いていても歌っていても、感動するし楽しい。音楽は力を持っている。つくづく音楽ってすごいなと思う。特に東日本大震災の後、音楽の力を感じたことが結構あったので」
――ご自分の歌に対しても、同じように思われますか。
「そうですね。俺はすごく恵まれてて。もう300曲以上レコーディングしてるんですけど、自分で言うのもなんだけど、良い歌が多いんですよ。売れた曲もあるけど、売れなくても、"これ絶対良い曲だよね"という曲もすごくあるし。あといろんなアーティストが素晴らしい曲を俺に書いてくれて。吉田拓郎さんや小椋佳さん、桑田(佳祐)くん、小田和正さん、スターダストレビューの根本要くん、米米CLUBの石井竜也くん、ASKAだとか。本当にいろんな人が書いてくれて、すごく財産です」
――錚々たるメンバーですね。
「でまた、大学の時にオリジナルで作っていた曲も時々うまく活躍したりね。震災後、自分の田舎の女川町の避難所に行った時、最大のヒット曲の『ふれあい』を歌うと、それはそれで皆聞いてくれるんだけど、大学の時に作詞作曲した『私の町』という、女川町の景色だけを描いた曲を歌った時、涙してる人がいて。"俺の歌を聴いて、今はもうないふるさとの景色を思い浮かべて涙しているんだ、俺の稚拙な歌でも感動を与えることが出来るんだな"と思って、歌の力をちょっと感じたんですよね」
――これからも歌い続けていかれたいと思われますか?
「そうですね。でも若い頃に比べて、だんだん声も出づらくなってきて。それでも歌える限りは歌いたいですね」
――歌い方も年齢と共に変わっていったり?
「それこそ『ふれあい』は23歳の時ですからね。今聴くともう別人みたいですね。当時は素直に楽に歌ってますね」
――歌とお芝居の両方を続けていかれたいというお気持ちですか?
「そうですね。出発は役者だったんですけど、だから役者でいなきゃいけないということもないので。運良くずっとドラマを切れ目なくやらせてもらって、同時にレコードも出して、途中からCDに変わって。役者と歌手、両方やってこられたのはラッキーでしたね」
――インタビューで、一つ一つのお仕事を誠実に積み重ねてこられたから今があるといったお話を拝見しました。継続の秘訣はありますか?
「さっき言ったように、主役でデビューして、デビュー曲が1位だったので、仕事の掛け持ちはしないと決めたんですよね。"今やっている一つの仕事、このドラマや映画をちゃんと全うしよう"と。同時にこれもあれもやってということが極力ないように。もちろん掛け持ちをした時期もあるんですけど、それはそれなりの事情があって。いつの時代でも、専念することがいつも一つということを心がけてきました。だから続けられた理由は、一つのことに一生懸命専念できたからですかね」
――改めて、12月21日に向けての意気込みをお願いします!
「お客さんが帰る時、"また来よう"と思ってくれればいいな。本当は歌だけで感動させられたらいいかなと思うんですけど、ついついくだらないお喋りをしたりね」
――ファンの方は嬉しいですよ。
「そういうのもひっくるめて、感動へと繋がったらいいなと思います」
――しかも東京公演の日(2024年2月1日(木) @すみだトリニティホール)は、中村さんの73歳のお誕生日ですね。
「そういう意味でいろいろ思うんですけど、準備体操をしてないとダメだなと。昔みたいに急にバッとやるんじゃなくて、やっぱりちゃんと準備を重ねていくことは大事ですね」
Text by ERI KUBOTA
(2023年12月15日更新)
1973年、慶應義塾大学在学中、文学座附属演劇研究所に入所。1974年、NTV「われら青春!」の主役に抜擢されデビュー。挿入歌「ふれあい」で歌手デビューし、売り上げが100万枚を超えるミリオンヒットを叩き出す。今までに役者として、TV連続ドラマの主演数は34本。歌手としてもコンスタントに曲を発表し、現在シングル55枚、アルバム41枚をリリース。デビューから毎年行う全国コンサートも1500回を超える。加えて、味の素、PanasonicのCM等、現在まで36本の広告にも参加。2021年よりスタートした中村雅俊とフルオーケストラのツアー「billboard classics」。昨年2022年は「HARVEST」というサブタイトルを掲げ、実りの秋にふさわしい芳醇な音をフルオーケストラとともに奏でて、ツアーを完走した。3年目となる今年は「WHAT’S NEXT」と題し、兵庫、東京の2公演を開催する。なお、東京公演が開催される2月1日は、中村の73歳の誕生日。2024年にはデビュー50周年を迎える。
中村雅俊 公式サイト
https://www.north-pro.com/talents/nakamura_masatoshi/
https://columbia.jp/artist-info/masatoshi/
チケット発売中 Pコード:253-663
▼12月21日(木) 17:00
兵庫県立芸術文化センター KOBELCO大ホール
S席-11000円 A席-9000円
[出演]中村雅俊
[指揮]円光寺雅彦
[共演]大塚修司
[演奏]兵庫芸術文化センター管弦楽団
※未就学児童は入場不可。
※チケット購入の際は、必ず公式サイトに掲載している注意事項をご確認の上、チケットをお求めください。<ご来場のお客様へのお願い:https://billboard-cc.com/classics/notice/>
※販売期間中はインターネット販売のみ。1人4枚まで。
[問]サウンドクリエーター
■06-6357-4400
【東京公演】
チケット発売中 Pコード:254-085
▼2024年2月1日(木) 17:00
すみだトリフォニーホール 大ホール
S席-11000円 A席-9000円
[出演]中村雅俊
[指揮]円光寺雅彦
[共演]大塚修司(サポートミュージシャン)
[演奏]新日本フィルハーモニー交響楽団
※未就学児童は入場不可。車椅子をご利用のお客様は、キョードー東京までお電話にて問合せください。チケット購入の際は、必ず公式サイトに掲載している注意事項をご確認の上、チケットをお求めください。<ご来場のお客様へのお願い https://billboard-cc.com/classics/notice/>
※チケットは、インターネットでのみ販売。店頭での受付はなし。1人4枚まで。
[問]キョードー東京■0570-550-799