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雲仙普賢岳の火砕流から22年

2013年06月03日 | 地質・地形・地球科学
1991年(平成3年)6月3日午後4時8分に火砕流が発生し、取材に当たっていた報道関係者16名(アルバイト学生含む)、火山学者ら4名(クラフト夫妻と案内役、アメリカ地質調査所のハリー・グリッケン、警戒に当たっていた消防団員12名、報道関係者に同行したタクシー運転手4名、警察官2名、選挙ポスター掲示板撤去作業中の職員2名、農作業中の住民4名の合わせて43名の死者・行方不明者と9名の負傷者を出す惨事となった。
(以上、Wikipediaより抜粋引用)

火砕流(かさいりゅう)とは、火山噴火によって噴出した火山ガスに火山灰などが混じり空気より重くなって、山腹を高速で流れ下る現象です。流下速度は時速100kmを超えることもあり、大きな被害をおこします。

過去の火砕流被害については、ヴェスヴィオ火山による古代ローマの都市ポンペイの埋没(西暦79年)や、プレー火山(西インド諸島マルティニーク島)から発生した火砕流がわずか2分あまりで麓のサンピエール市を全滅させた(死者32,000人)ことなどが、知られています。

さて雲仙普賢岳の火砕流について、私は特別な思い出があります。
発生当時(1991年)、私は青年海外協力隊員として南米コロンビア共和国の僻地で活動中。
地元の新聞の一面に、雲仙普賢岳の火砕流災害が写真入りで紹介されました。
友人知人の何人もから「日本が載っているよ」と言われたことを覚えています。実は、私が現地に滞在した2年間、新聞1面に日本の記事が載ったのは3回きり、そのうちの1回でした。

日本は世界一活火山の多い国です。火砕流はじめ火山災害について正しい知識をもち、被害が出ないようにしないといけませんね。




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