今日ネットの記事で「六神合体ゴッドマーズ」(1981)が放送40周年を迎えたというニュースを読んだ。もうそんなに経つんだという感慨を持ったが、いや実は私はこのアニメ、殆ど見た事ないのだが、このアニメは忘れられない作品なのだ。このゴッドマーズを見ると映画サークル時代の友人Hくんの事を思い出す。Hくんはうちのサークル内でももっともアニメ好きで、自分で原画を描き、私たち他のメンバーもセル画の彩色に駆り出されてアニメーションを作ったものだ。そんな彼が最も敬愛していたアニメーターの名は「金田伊功(かなだ・よしのり)」(1952~2009)だった。金田とその弟子や、影響を受けた多くのアニメーターが”金田系”とでも言うべきスタイルを生み出し、1980年代を席巻したのだ。

 

金田伊功のアニメスタイルはWikipediaから引くと、「舞うように動くアクロバティックなメカ表現。”金田パース”と呼ばれる誇張された遠近感とポージングの使用」という事に尽きるだろう。百聞は一見に如かず、金田が原画を担当した「魔境伝説アクロバンチ」(1982)のオープニングをご覧頂こう。

 

”金田系”のアニメーターに鍋島修、亀垣一、越智一裕(この3人に長崎重信を加えたメンバーが作画を担当した回の「機動戦士ガンダム」(1979)は見ればすぐにわかるはず!)、山下将仁、板野一郎らがあげられる。Hくんは彼らの作画も含めて”金田系”のアニメを「金田ってる」を略して「ダってる」と呼んでいた。初めは十把一絡げだったが、彼はそのうちにちゃんと区別をつけるようになり、アニメの予告を見ると「来週の作画は○○だ」などと言うようになっていた(驚)1981年から放送された「うる星やつら」の人気を支えたひとつの要因が山下将仁による「ダってる」作画だった事は間違いないだろう。

 

そもそもこうした”金田系”の作画は何故生まれたのか。本来アニメーションとはディズニーアニメに代表されるようなフル・アニメーションと呼ばれる1秒間24コマに対して24枚の作画を行い、流れるような滑らかな動きを生み出す。それに対してリミテッド・アニメーションと呼ばれる1秒間に描かれる作画枚数を減らしたものがある。これは表現の方法のひとつだが、実際には時間や費用の削減のために行われる事も多い。1秒12枚描かれるものもあるが、日本のアニメはさらに少ない1秒8枚という作画枚数が定着している。これは日本初のテレビアニメ「鉄腕アトム」(1963~)から基本的に変わっていない。リミテッド・アニメである以上滑らかな動きは当然フル・アニメに叶うはずがない。だがその枚数の少なさを逆手に取り、動きの中間を更に省き、遠近感をつけた構図やポーズでダイナミックな動きを生み出す工夫である。これは1枚1枚原画を見るとなんだかよくわからないのだが、動画で見ると迫力満点なのだ。金田が「風の谷のナウシカ」(1984)で作画を担当したシーンがナウシカのロマンアルバムに掲載されていたのでご覧下さい。

アスベルがナウシカを襲うシーンだが、極端に歪んだ構図を取っている。この連続写真を見てもよくわからないが、ソフトを持っている方は是非動画で見て欲しい。その迫力がよくわかるだろう。

 

そしてやっとゴッドマーズの話になるのだが、この作品のメカデザインは亀垣一が担当、鍋島修、越智一裕も原画を担当しているのだ。これはもう正統な”金田系”の作品を言えるだろう。件のHくんは自分が作画したアニメでかなり「ダってる」作画をしていたのだが、その作品を製作している最中は私は元の作品を見た事がなかったのだ。その後Hくんのオススメで初めて「ゴッドマーズ」を見た時の衝撃は忘れられない。「こ、これはHが作画したアニメなのだろうか?」と本気で思った(笑)

 

「ゴッドマーズ」はロボットアニメであるのだが、マーズとマーグというキャラクターが女性に大いにウケ、今で言う「腐女子」を生み出した元祖的な作品とも言われているようだ。そんなキャラクターに寄り添った作風のためか、主題歌の作詞、作曲を担当した三浦徳子、小田裕一郎のコンビは松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」から「青い珊瑚礁」「風は秋色」まで(全て1980)を担当したコンビであり、そこはかとなく”聖子ちゃん”と似た香りの漂う楽曲である。

 

Hくんとは彼の結婚式に出席したのを最後にその後お互い忙しくなり疎遠になってしまった。元気にしているだろうか。

「六神合体ゴッドマーズ」を見ると彼の事を思い出すのだ。