「安政の大地震」のなまず絵 | 龍馬と夢紀行

「安政の大地震」のなまず絵

昨日、前回の大河ドラマ「西郷どん」に絡んで“安政の大地震”に触れました。

 

そんな状況とは無関係だったのですが、

先週半ばに購入した瓦版が週末に宅急便で届けられました。

 

今回私が購入したうちの一点は偶然にも「鯰絵(なまずえ)」でした。

鯰絵とは、大鯰が地下で活動することで地震が発生するという民間信仰に基づいた錦絵。

とくに地震の規模が大きかった安政2年(1855)10月2日夜に起きた安政の大地震後、

江戸を中心にして多く出版・流布されることになりました。

 

この鯰絵「自身除妙法(じしんのぞくみょうほう)」の内容には、こう記されています。

 

「安政二年十月二日夜

江戸并関東筋大地震

大火ニ付

鹿島大明神託臼

「其方共義前々より申聞(きか)セおく通り

此沙婆せかいのうち大日本国中の地の下ハ天照

大神其外諸神の御守護

にして、地の下ハ金輪ならくゑんま王

の任所ニて、堅牢地神とそれがしの

あずかる所也、しかるに例年の事にして朔日

より出雲大社へ参りいる、るすの中を見こミ、其方共平常の戒をわすれ乱行いたし、御府内

近国に至迄揺潰、家蔵石垣其外を崩し、其上

出火被成、数ヶ所の焼失のミならず、けが人尚又一命に及

もの甚多きよし、是皆其方共かねてのいましめを

やぶりたる大ざい也、いかに某

るすのうちとても、かくの事き

異変あつてハ、某の守護役のかど立ちがたく、我をないがし

ろするふらち、其ままさし置きがたし、へんとう有るやと、ふかく

いかりをあらハし仰せけるに一どうのなまづ身ぶるひして大におそれ

一言もはくものなく、此とき、かしらたちたると見ゆるもの、慎んで申ス

「おそれながら仰のおもむき、かしこまり候也。此たび大へんの事ハ

一とふりおきき遊されて下さるべし、此義ハ申上ずとも御存の義にて

はる、なつ、あき、ふゆのうちにあついじぶんにさむい日あり

さむいときにあたたかなる日あり、かくの事く気候のくるひ

有て、かんだんの順なるとしハ少く候、今年最ふじゅん

ながら、五穀のよくミのり候ハ、八百万神の御守り遊され候

御力による所也さて天地にかんだんの順のさだまり

ありて、はる・なつと其きのじかう、事の外くるひ候ゆへ

わたくしども地下のすまひにてハ、以ての外のおもしろき

じせつになりたりと、わきまへなきものども、らん

しんの事く、くるひまハりそうろうゆへ、わたくしども

いろいろせいとうをいたせども、みみにもかけず

らんぼうにくるひさハぎ候より、つひに思ひよら

ざる日本へひびき、御しはいの内なる家倉

をそんじ候だん、いかなるつミにおこなハる

共、いはいこれなく候也、され共わけてお願

にハ、わたくしどものこりなく御うりつくし候共

そんじたるいへくらのたつにもあらねバ、まづ

しバらくの命をおあづけ下され、是より

日本のとちをまもり、いかなるじかう

ちがいにても、此たびの事き事ハもう

とう仕らず、天下たいへいごこくほう

ねん、君が代を守り奉り候べしと

一とうにねがひケるゆへ、おゆるし在て

いづれもかへされケり、それにつき

じしんをよケるおまもりハ、むかしより

これありといへども、又下にあらハし置候

●それ地しんハ五ヶ国十ヶ国もゆるものにて

そのいえばかりのがるるといふ事なし、されど

かしま明神の御宮居をはじめ、其御領

ぶんの内にすむ家あまたありて

むかしより地しんにてわざハいある

事をきかず、いま右にしるす

東方 西方 南方 北方 四方へはる也

●家の中なる天井にはる、又

守りに入れ、首にかける也

右の守ハたとひぢしん有りても、此家ばかりハさハり有□となし

万化宝といふ本をみるべし

此事を

信じて用ひたる家ハ何事もなく

あざけりたるものハゆりつぶれ

たる事あきらかに書たり

されバ是も世の心得にならんと

ここにしるしはべり、 うたがふ

人ハさしおき此守を信じて

いらい、地しんのなんをのがれ玉ハバ、幸此上なしと申のミ」

 

鹿島大明神に向かって、鯰たちが地震を起こしたことを謝っている内容なのです。

また画面右下には地震よけのお札に記される梵字が書かれています。