「グレートマジンガー 対 ゲッターロボG 空中大激突」(1975年作品)感想 | 深層昭和帯

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1975年夏の東映まんがまつりで公開された作品。



驚くべきことに、これも初見だった。グレートマジンガーの不人気さが浮き彫りになるな(サンプル1人)。グレートの不人気さの原因が、兜甲児の物語の不完全さにあるというのは、前作の感想で書いたので割愛する。

ゲッターロボに搭乗する巴武蔵が死んで、新しくゲッターロボGになったことは知っていたが、オレはおそらくテレビ放送版を観ていないはずだ。この作品で武蔵が死ぬのだが、初めて見るシーンだった。酷い死に方である。感動に繋がっていないので、ハッキリって死に損である。

ゲッターロボGのデザインも酷い。思い起こせば、このロボットはクラスの失笑の的であった。頭のトゲトゲが変なのだ。「頭に何かが刺さっていることに気づいていない人」に見えてしまう。ただでさえゲッターロボは同じ3機の飛行機が合体するのに、形態によって重量が違うという致命的欠点を抱えているのに、「頭に何かが刺さっているのに気づかない人」という不名誉なキャラ設定まで加わればもうお終いである。

不人気のグレートとゲッターGでは客は呼べないな。さらに言えば、Gはアニソンが盛り上がらない。ゲッターロボは有名なわりに内容を把握していない人が多い作品なのだが、ゲッターの名声はささきいさおの旧OPに寄るところが大きい。「歌は知っているが、ちゃんと観ていない」のがゲッターロボだ。のちに何度もリメイクされる有名作品でありながら、実はその魅力の大部分はささきいさおの唄声が担っている。もちろん旧OP・EDのことだ。

というわけで、オレは「グレートマジンガー」も「ゲッターロボ」も、まともに観ていない。では、オレは他に何を観ていたのかと言えば、1975年当時、「勇者ライディーン」に夢中になっていた。

「勇者ライディーン」のキャラクターデザインは、安彦良和である。とにかく登場人物が華奢で美しい。歌舞伎役者のような「グレートマジンガー」剣鉄也の時代劇顔とは似ても似つかない美しさに夢中になっていた。しかも、太腿がいい感じにエロティックなのだ。女性キャラではなく、男性キャラの太腿が美しいのが安彦良和だった。「勇者ライディーン」に関しては、女性のファンも多かった。

この作品はすったもんだあって、監督が富野喜幸(のちの富野由悠季)から長浜忠夫に変わっているのだが、オレが好きなのは富野が監督をやった前半部分だ。「勇者ライディーン」と「大鉄人17」は前半がいい。あの雰囲気のまま最後まで突っ走ってほしかった。後半はただのプロレスである。

当然、超合金も買った。オレにとって超合金(それに類するものも含む)は、マジンガーZ、サンダーバード2号、ライディーンだ。他のは持っていなかったし、欲しくもなかった。それくらい大好きだった。

おそらく、「マジンガーZ」に関わった人の多くが、なぜ「グレートマジンガー」が人気が出なかったのか、そして「UFOロボ  グレンダイザー」で少し盛り返したのか、よくわかっていないはずだ。子供の中にある物語への希求を見誤っていたと思われる。子供たちは、すでにアニメファンであったのだ。彼らは永井豪を捨て、富野喜幸と安彦良和を選んだ。

劇場版「グレートマジンガー 対 ゲッターロボG 空中大激突」という作品は、子供たちがアニメファンへと成長したことを察することが出来なかった大人が作った、公開当時からすでに古臭くなっていたアニメである。